お知らせ
基本情報
町会範囲
弥生2丁目1番〜20番
町会会員数
約620世帯
町会の特長・PRなど
向ヶ岡弥生町(現弥生2丁目)は江戸時代、徳川御三家水戸藩の中屋敷であった。明治2年新政府に収用され、同5年町屋ができて向ヶ岡弥生町と名づけられた。
町名の「向ヶ岡」は、すでに忍ヶ岡と呼ばれていた上野の山から不忍池をへだてて向かいあう岡、という意味である。
文政11年(1828年)3月10日水戸藩主徳川斉昭(15代将軍慶喜の父)が屋敷内に建てた、「名にしおふ 春に“向かふか岡”なれば 世にたくひなき 花の影かな」という歌碑(向岡記碑)の題書に、「ことし文政十余り一とせといふ年の“やよい”の十日 さきみだるさくらがもとにかくはかきつくこそ」とあることからつけられた。
明治17年、ここの貝塚から発見された土器は、町名をとり「弥生式土器」と命名された。